01-01/本店「山形屋」

  1585(天正13)年8月、豊臣秀吉の甥・秀次は、長曾我部征伐の功により、近江八幡山に封ぜられた。秀次は、直ちに八幡山城の構築に取り掛かるとともに、城下を区画して安土城下の人々を移住させて町をつくった。築城の折に、初代西川仁右衛門は大工組と称して工務監督を務めている。

 翌1586(天正14)年6月には、八幡町に掟書が発せられた。それには「当町中、楽市として申し付くる上は、諸座諸役諸公事(諸税)は、ことごとく免許のこと」と、いわゆる楽市楽座(営業の自由)の方針が宣言されている。

 このような革新的な機運のさなかにあって、初代仁右衛門は、1587(天正15)年、八幡町に店を設け、本格的な活動を開始した。これが西川家の本店山形屋のおこりである。

 (2016年1月西川文化財団発行「西川450年史」より)

 「山形屋」という名前の由来に関する記録は残念ながら遺っていませんが、「山形屋」という屋号は本店設置以後長い間使われてきました。いつまで使われてきたのかという記録もこれまた不明ですが、1932(昭和7)年の商品パンフレットには「西川甚五郎商店」との記載を見ることができます(下の写真)。ちなみに、西川の商標が制定されたのは1929(昭和4)年のことになります。