江戸時代を通じて200余りの火事があった。中でも1657(明暦3)年の振袖火事(明暦の大火)、1772(明和9)年の目黒大円寺よりの出火、1806(文化3)年の芝車町からの出火は特に大きく、江戸の三大火と呼ばれている。
明暦の大火以降、幕府も消火、消防制度の確立に努力し、旗本、与力、同心による定火消のほかに、譜代大名より出す方角火消、外様大名より出す大名火消などが付け加えられた。18世紀初頭の正徳、享保時代には、トビ人足よりなる48組の町火消ができ、武家火消と先陣を争う光景が見られるようになった。
江戸の商店は再々の火災に悩まされ、西川の
店、
店ともに例外ではなく、度々被害に遭っている。当時は、災害に対して保険制度などないため、その復旧費用は全面的に被災者の負担となる。西川家では、このような不時の出費に備えるための工夫として、積立金制度を整えてきた。
(2016年1月西川文化財団発行「西川450年史」より)
