11-03/西川家の地域貢献 ~小学校の開校(11代目西川甚五郎)~

 明治6(1873)年、東西2つの行政区に分かれていた八幡町では、同年4月1日に2つの小学校が開校しました。八幡東・八幡西学校と称された両校の設立は、八幡町在住の近江商人(八幡商人)の篤志によるものです。

 篤志については金銭的援助だけではありませんでした。11代目西川甚五郎をはじめとする篤志家の人びとは、首座教員(=校長)を東京師範学校から、訓導(=指導教員)には滋賀県師範学校の卒業生を高い給金で招聘して、近代的教授法を身につけた教員による授業を子弟に受けさせようとしました。

 11代目西川甚五郎が特に熱心であったのは、校舎の新築造営です。学校開校の3年後の明治9(1876)年に八幡東学校の新築造営を決定すると、11代目西川甚五郎は首座教員(=校長)を引き連れ京阪地方の校舎を視察し、擬洋風建築の校舎設立を決定しました。

 明治10(1877)年に建築された新校舎は、モダンな造りで、開校式に出席した滋賀県権令(=県知事)籠手田安定(こてだやすさだ)は、その荘厳さと八幡町の教育にかける思いを称賛しました。同校舎はその後、修復等を繰り返し、その面影を残しつつ、日牟禮八幡宮鳥居前に現存(建物は登録文化財)し、「白雲館」という名前で、近江八幡の観光案内所として機能しています。

(平成31年3月近江八幡市発行『近江八幡の歴史』第8巻より)

3-06_旧八幡東学校校舎(現在の白雲館)